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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10066号 判決 1992年7月31日

原告

千葉良仁

右訴訟代理人弁護士

小出重義

大澤一司

田中重仁

被告(亡篠田謙次訴訟承継人)

篠田裕子

村上知巳

児玉令子

中山幸栄

篠田謙一

右被告ら訴訟代理人弁護士

高田利廣

小海正勝

主文

一  原告に対し、被告篠田裕子は、金一八五六万二九五三円及びこれに対する昭和五五年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、被告村上知巳、同児玉令子、同中山幸栄及び同篠田謙一は、各自、いずれも、金四六四万〇七三八円及びこれに対する昭和五五年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、それを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、金八二七一万一〇一〇円及びこれに対する昭和五五年三月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生及び診療契約の締結

(一) 原告は、昭和五五年三月六日、オートバイで走行中の転倒事故(以下「本件事故」という。)により、左下腿末梢側1/5(足関節のすぐ上の部分)完全骨折等の傷害を負い、亡篠田謙次(以下「篠田医師」という。)の経営していた篠田外科医院(以下「本件医院」という。)に運び込まれてそのまま本件医院に入院した。

(二) 右入院の際、原告は、篠田医師との間で、原告の負った右傷害について適切な診療を行うことを内容とする診療契約を締結した。

2  診療経過等

(一) 昭和五五年三月六日、篠田医師は、原告の左足骨折部にギブスをあて、包帯を巻いてベッドに横臥させた。

(二) 同月七日、篠田医師は、原告の前記骨折部位を切開し、骨折部を整復し、プレートを挿入する手術(以下「本件手術」という。)を行った。

(三) 同月八日、原告の左足腫部に痛みがあり、右患部に水泡が発生していた。

同日、原告は、篠田医師に対し、左足背部の知覚喪失及び不眠を訴えた。

(四) 同月一〇日、原告の左足の血行が悪化し、次第に腫れ上がってきた。

(五) 同月一一日、訴外児玉医師が、原告の左下腿の本件手術部腫脹部位前面の皮膚を約一〇センチメートル切開する手術(以下「減脹切開」という。)を行った。

(六) 同月一三日から一五日にかけて、原告は、左足の激痛を訴えた。

その間、左足の第一指、第二指、第三指という順番で次第に左足指全体が萎縮していった。

(七) 同月一六日以降、原告の左足部の循環不全は更に悪化し、同月一八日から一九日にかけて左足部の腫脹は引きはじめたものの、左足背部のかぶれていた皮膚が剥がれ出し、剥がれた後の肉色は黒ずんでいた。

同月二〇日、篠田医師は、原告に対し、児玉医師の勤務する東京船員保険病院への転院を勧めた。

(八) 同月二二日、原告の左足趾部は完全に壊死状態となった。

3  原告の左足切断及び義足の装着

(一) 同月二四日、原告は、都立駒込病院(以下「駒込病院」という。)に転院して検査を受けたところ、左足膝下一五センチメートルの部位で切断するほかないとの診断であったため、同月二六日、原告は、駒込病院において左足を切断する手術(以下「左足切断手術」という。)を受けた。

(二) 原告は、同年六月一四日に駒込病院を退院し、以後、通院を継続して、同年八月一九日に義足を装着し、現在に至っている。

4  原告の左足趾部が壊死に至った原因

(一) 原告の左足趾部が壊死に至った直接の原因は、膝下を流れる主要な三本の動脈のうち、前脛骨動脈及び後脛骨動脈が切断され、腓骨動脈が詰まってしまったため、その部分から先の血流が阻害され、その結果、足趾部の細胞が壊死してしまったことによる。

(二) 右前脛骨動脈及び後脛骨動脈が切断された原因は、被告が本件手術を行う際に誤って切断したか、又は、本件事故の際に脱臼骨折によって切れたかのいずれかであり、右腓骨動脈が詰まった原因は、本件手術の際、プレートを骨に固定するために使用したネジが長過ぎたため、右ネジの先端が骨から飛び出して腓骨動脈を圧迫したことにある。

5  篠田医師の過失(債務不履行又は不法行為)

(一) 療法選択上の過失

(1) 一般に、骨折治療には、保存療法と観血的手術療法とが存在するが、観血的手術療法は、手技上のミス等により不測の結果をもたらす危険性を内在させていることから、保存療法による治療が困難な場合に限って選択すべき療法である。

(2) 本件では、原告が受傷当時満一六歳の青年であったこと及び骨折部位・程度から考えて観血的手術療法の適応はなく、保存療法によって治療すべき事案であったにもかかわらず、篠田医師は、漫然観血的手術療法を採用して、その結果、後記(二)(2)のような手技ミスを誘発したのであるから、右療法を選択したこと自体に過失があったものというべきである。

(二) 本件手術施行上の過失

(1) 本件手術を行うにあたり、篠田医師は、手術の際に周囲の血管を損傷しないよう細心の注意を払うべき義務を負っていた。

(2) しかるに、篠田医師は、本件手術の際、誤って前記前脛骨動脈及び後脛骨動脈を切断してしまった上、プレートを固定するネジで前記腓骨動脈を押し潰してしまったことにより、原告の左足の血流が阻害されて同部位の細胞が壊死した結果、左足を切断するに至らしめたものであるから、篠田医師には本件手術施行上の過失があり、左足切断によって原告が被った損害を賠償する責任がある。

(三) 経過観察上の過失

(1) 篠田医師は、原告の左足骨折部位の治療にあたる医師として、本件手術の前後を通じ、原告の左足部の血流の有無・強弱に常に注意を払い、血流障害の兆候があれば速やかに自ら血管再建手術等の措置を施すか、それが不可能であれば、速やかに右措置が可能な設備・技術を備えた医療機関に転院させるべき注意義務を負っていたものというべきである。

(2) 本件では、篠田医師において、遅くとも昭和五五年三月一〇日の時点では、原告の左足の血流が阻害されており、血管損傷の可能性があることを認識し得たにもかかわらず、篠田医師は、右血流の有無に注意を払うことを怠ってこれを看過し、前記の適切な血管外科の措置を施すべき時機を逸して原告の左足趾部壊死の結果を招来した結果、原告が左足を切断するのやむなきに至らしめたものであるから、左足切断によって原告が被った損害を賠償する責任がある。

6  損害 合計金八二七一万一〇一〇円

(一) 逸失利益

原告は、左足切断当時、満一六歳の男子であって、昭和六三年賃金センサスによる大卒男子労働者の全年齢平均年収額にベースアップ分として五パーセントを加算した年収額は金四七七万八五五〇円であるから、労働能力喪失率を七九パーセント(後遺障害別等級第五級)、労働能力喪失期間を五一年間(一六歳から六七歳まで)とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して原告の逸失利益の現在価額を算出すると、金六二二一万一〇一〇円となる。

(二) 後遺症慰謝料

原告は、左足先を切断することを余儀なくされ、後遺障害別等級第五級と認定されたが、これによる原告の精神的苦痛を慰謝するには金一三〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告は、弁護士に本件訴訟の追行を依頼し、その費用として金七五〇万円を支払うことを約した。

7  被告らによる相続

(一) 篠田医師は、平成三年五月三〇日死亡した。

(二) 被告篠田裕子は、篠田医師の妻であり、同村上知巳、同児玉令子、同中山幸栄及び同篠田謙一は、いずれも、篠田医師の子である。

8  よって、原告は、被告らに対し、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償として、金八二七一万一〇一〇円及びこれに対する原告の左足切断の日である昭和五五年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1(診療契約の締結)(一)及び(二)の各事実は、いずれも、認める。

2(一)  同2(診療経過等)(一)及び(二)の各事実は、いずれも、認める。

(二)  同2(三)の事実のうち、本件手術の翌日である三月八日、原告の左足腫部に水泡が発生していたこと及び原告が不眠を訴えたことは認め、その余は否認する。

足腫部の痛みは、腫脹部が手術後に装着したギブスシーネにあたっていたためであって、循環障害によるものではない。また、水泡は手術後に通常生じる腫脹のためか、手術時の消毒液(イソジン)にかぶれたことによるものである。

(三)  同2(四)の事実のうち、同月一〇日、原告の左足が腫れ上がってきたことを認め、左足の血行が悪化したことは否認する。

同日、左足部の静脈の鬱滞は認められたが、動脈の循環障害は出現していなかった。

(四)  同2(五)の事実は認める。

同月一一日になって初めて左足部の動脈に循環障害の症状が発現したため、減脹切開を行ったものである。右循環障害の原因は血栓形成によるものと考えられたため、同日から血液循環をよくする低分子デキストランの点滴及び血栓除去の目的でウロナーゼの投与を開始した。

(五)  同2(六)の事実は否認する。

同月一一日の減脹切開後、足趾部の疼痛及びシビレは軽減しており、足趾の血液循環の改善が認められた。左足の痛みは手術後の腫脹によるものである。

(六)  同2(七)の事実のうち、同月一八日から一九日にかけて左足部の腫脹が引き始めたこと及び同月二〇日、被告が転院を勧めたことの各事実は認め、その余は否認する。

同月一六日、低分子デキストランの副作用である腎機能障害がみられたため、翌一七日は低分子デキストラン及びウロナーゼの投与を中止した。

左足部の血液循環は、同月一六日から一七日にかけて改善傾向を示していたところ、同月一八日に再度動脈循環障害の症状が発生したため、同日、低分子デキストラン及びウロナーゼの投与を再開したが、翌一九日から二〇日にかけて急激に左足部循環不全が進行し、左足趾萎縮傾向がみられるようになった。

(七)  同2(八)の事実は認める。

3  請求原因3(原告の左足切断)(一)及び(二)の事実は不知。

4  請求原因4(左足趾部壊死の原因)(一)及び(二)は、いずれも、争う。

脛骨骨折の手術は、金属のヘラ様の道具で脛骨膜ごと柔らかい組織を骨から剥離するものであって血管を損傷することはなく、プレートを骨に固定するネジは、反対側の骨皮質に食い込ませる必要から少々突出する必要があるが、血管は弾力性に富んでいるから、仮にネジの先があたったとしても、これによって押し潰されることはない。

また、本件事故又は本件手術時に前脛骨動脈及び後脛骨動脈が切断されたとすれば、それによって大出血し、直ちに止血しなければ失血死に至るはずのものであるところ、本件では何らそのような症状は生じておらず、急性の動脈阻血症状(突然の激痛・患肢の蒼白・末梢の脈拍は触知せず・知覚異常・運動麻痺等の症状。以下「五症状」という。)が出現したのは三月一八日以降であるから、本件事故時又は本件手術時に右両動脈が切断されたということはあり得ない。

5(一)  請求原因5(篠田医師の責任)(一)(療法選択上の過失)は、否認し、又は、争う。

本件では、骨折部位から考えて手術による強固な固定が必要であったこと、手術による固定を行えば、理学療法含めた全治療期間を最短期間にできるなどの理由から観血的手術療法を施行したものであって、右選択に不適切な点はない。

(二)  同4(二)(本件手術施行上の過失)のうち、(1)の事実は認め、(2)は否認し、又は、争う。

(三)  同4(三)(経過観察上の過失)は争う。

前記3のとおり、動脈循環障害が初めて出現したのは三月一一日であり、五症状が発現したのは三月一八日以降である。

篠田医師が原告の症状の推移に対して血栓形成を疑い、同月一一日以降これに対処しつつ経過を観察したことは医師の裁量の範囲内の行為であって、篠田医師の右行為をもって過失というべきではない。

6  請求原因6(損害)は、争う。

三  被告らの主張

1  左足壊死の原因

原告の左足趾部が壊死に至った原因は、本件手術によって左足部分に腫脹が出現したことにより末梢の静脈血の鬱滞が発生し、これに腎機能低下が加わって腎性の浮腫が発生増強したため、動脈の流れが阻害され、全ての動脈に血栓ができて動脈の循環障害が発生したことによるものである。篠田医師らは、これに対して、減脹切開を行うとともに、低分子デキストランの点滴及びウロナーゼの投与を行うなどしたが、低分子デキストランの副作用として腎機能障害の症状が現れたため、これらの投与を一時中止せざるを得なかったものであって、篠田医師らの採った右措置に何ら不適切な点はない。

仮に、駒込病院における病理解剖時において、原告の左足の前脛骨動脈及び後脛骨動脈が離断していたとすれば、それは、本件事故時の血管損傷により血栓を生じ、それが増悪して血流を阻害するに至った時点以降で離断するに至ったものであるか、組織壊死と共に血管壊死も惹起するに至って離断したものと考えるべきである。

2  過失相殺の類推

本件においては、原告が無免許でオートバイを運転して自傷事故を起こしたことがその傷害のそもそもの原因なのであるから、原告に生じた損害の額を算定するにあたって、右のような事情は、当事者間における損害の公平な分担という見地から当然考慮に入れられるべきであり、過失相殺の法理を類推適用して相当程度の減額をすべきである。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告らの主張1(左足壊死の原因)のうち、篠田医師らが、減脹切開を行うと共に低分子デキストランの点滴及びウロナーゼの投与を行ったことは認め、その余は否認し、又は、争う。

2  同2(過失相殺の類推)は、否認し、又は、争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(本件事故の発生及び診療契約の締結)の事実は、当事者間に争いがない。

二診療経過について

当事者間に争いのない事実に、<書証番号略>及び同尋問の結果並びに弁論の全趣旨を合わせると、本件医院における原告の診療経過について以下の事実が認められる。

1  入院当日である昭和五五年三月六日、篠田医師は、原告の左下腿及び左膝関節部にギブスシーネをあて、その上から包帯を巻いてベッドに横臥させた。その際、原告の左下腿全面に腫脹が強く認められた。

2  同月七日、篠田医師は、原告の骨折部位を切開し、骨折部を整復してプレートを挿入する内容の本件手術を行った上、原告の左下腿及び左膝関節部にギブスシーネをあてた。

その際、篠田医師は、原告に対し、単なる骨折であり心配はいらない旨説明した。

3  同月八日、原告の左足踵部の疼痛が増悪し、右患部に水泡が発生したが、篠田医師は、これに対し、包帯を緩めたのみで格別の治療行為は行わなかった。

4  同月一〇日、原告の左足部分の腫脹が次第に増強していった。

5  同月一一日、原告の左足部分がゴムまり状に膨張したため、児玉医師が原告の左足腫脹部前面の皮膚を長さ約一〇センチメートルにわたって減脹切開した。

篠田医師は、原告の左足の腫脹を血栓の形成によるものと判断して、血液循環をよくする低分子デキストランの点滴及び血栓除去の作用を持つウロナーゼの投与を開始した。

6  同月一三日から一五日にかけて、原告は、左足の激痛を訴えた。その間、原告の左足指が第一指から第五指の順で次第に萎縮していった。

7  同月一六日、篠田医師は、原告に対し、血栓のため左足指先に血液が通わず、急性の壊死状態となったため、足指の末節骨先を切断する外ない旨説明した。

8  同月一八日から一九日にかけて、左足部の腫脹は引き始めたが、かぶれていた左足背部の皮膚が剥がれ出し、剥がれた後の肉色は黒ずんでいた。

同月二〇日、児玉医師から原告に対し、同医師の勤務する東京船員保険病院へ転送して左足部を切断する旨の話があった。

9  同月二二日、原告の左足趾部は、完全に壊死状態となり、原告の父母らは、児玉医師の了承を得て、原告を駒込病院に転院させることとした。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠は存在しない。

三1  請求原因3(一)(原告の左足切断)の事実は、<書証番号略>並びに原告本人尋問の結果により認められる。

2  同3(二)(義足の装着)の事実は、<書証番号略>及び原告本人尋問の結果により認められる。

四左足壊死の原因について

1  <書証番号略>によれば、駒込病院における昭和五五年三月三一日の病理解剖の際、原告の左足の前脛骨動脈及び後脛骨動脈が骨折部の近く足関節のすぐ近位で切断されており、切断部の直後の筋組織等は完全に壊死状態になっていたこと、腓骨動脈は、プレートを固定したネジのうち二本によって押し潰され、前外側に圧排されており、右動脈血管の壁にはネジの跡が付いている状態であったことの各事実が認められる。

2  他方、<書証番号略>及び鑑定人和田博夫による鑑定の結果(以下「和田鑑定」という。)並びに弁論の全趣旨によれば、血管損傷及び足部組織壊死についての一般的知見は、次のような内容であると認められる。

(一)  下腿部を流れる主な動脈は、前脛骨動脈、後脛骨動脈及び腓骨動脈の三つであるが、その中でも前脛骨動脈及び後脛骨動脈がより主要な動脈である。

(二)  一般に、血管が全面的に損傷されて全く血流がなくなった場合には、筋肉組織は一二時間から二四時間程度で壊死に至る可能性が高い。

(三)  血管の損傷が当初は部分的なものに過ぎない場合でも、下肢(膝及び足関節)の固定の仕方によっては、下肢を動かすことによって全面的な血管損傷に移行することがよくある。

(四)  血管が全面的に損傷されても、本件のような損傷部位が下腿の先の部分である場合には、必ずしもそれによって大出血し、失血死に至るとは限らない。

(五)  血栓の形成による血流阻害の場合であれば、それによって血管損傷という結果がもたらされることは極めて考えにくい。

3  前記1及び2の各認定事実に、前記二認定の診療経過を合わせて考えれば、原告の左足が壊死するに至った直接の原因は、前脛骨動脈、後脛骨動脈の損傷及び腓骨動脈の圧迫によって足趾部への血流がなくなったことにあり、中でも前脛骨動脈及び後脛骨動脈の損傷が主たる原因であると考えられるところ、右両動脈の損傷がいつ生じたかについては、他に原因となり得る事実の存在が認められない以上、本件事故の際か又は本件手術の際に生じたかのいずれかであると解するほかない。そして、前掲和田鑑定によれば、一般に、交通事故による外傷の場合には血管損傷が起きている可能性が高く、右両動脈の損傷が本件事故の際に起きたと考えて特に不合理な点はないことが認められる一方、本件手術の際に篠田医師が右両動脈を誤って損傷したことを窺わせる具体的な事情は存在していないのであるから、結局、本件では、右両動脈の損傷は、本件事故の際に生じたものと推認するのが妥当である。それと同時に、原告の左足に腫脹が現れた時期及びその後壊死に至るまでの期間に鑑みれば、本件事故の際に両動脈の損傷が生じた時点では、右両動脈の損傷は全面的なものではなく部分的なものであって、その後、損傷部位から徐々に血管外に出血が続くと共に、原告が左下肢を動かすことによって右血管損傷の程度が進行し、解剖時にみられたような全面的損傷に移行したものと推認される。

なお、血管損傷の時期・態様に関し、被告らは、動脈阻血の五症状が発現したのは昭和五五年三月一八日以降であるから、それ以前に血管が切断されていた可能性はない旨主張するが、右認定のとおり、血管の損傷は当初は部分的なものであった可能性が高く、また、仮に全面的な損傷であったとしても、前記2(四)のとおり、本件のように損傷部位が下腿の先の部分である場合にはかならずしもそれによって大出血がみられるとは限らないことが認められるから、仮に被告ら主張のように五症状の発現が同日以降であったとしても、右認定を左右するには至らない。

被告らは、更に、左足部の動脈の循環障害は同月一一日より前には発現していなかったから、同日以前には血管損傷は存在しなかったとも主張するが、篠田医師が同月一〇日以前に原告の左足部の血流の有無を確認すべき相当の検査をしたことは本件医院のカルテである<書証番号略>にも記載がないのみならず、同日前に部分的であれ血管損傷が生じていたことを疑うべき腫脹の増強等の前記二のような診療経過が認められるのであるから、被告らの右主張は、採用することができない。

五篠田医師の過失及び因果関係について

1  和田鑑定によれば、一般に、交通事故等による骨折等の外傷の場合には、血管に損傷が存在する可能性に注意して治療を行う場合があり、このことは、昭和五五年当時においても医師の間で広く認識されていたこと、特に減脹切開を必要とするほど腫脹が強く出ている場合には血管損傷が存在している可能性が極めて高いこと及び血流の有無は足背部に手をあてること等により容易に認識し得ることの各事実が認められ、これらの事実に前記二4及び5の診療経過並びに前記四2(一)及び(二)の各事実を合わせれば、本件において、原告の左足の治療にあたった篠田医師としては、常に左足部の腫脹の状況及び血流の有無・強弱に注意を払った上、遅くとも左足に腫脹が強く認められた同年三月一〇日の時点では血管損傷が存在する可能性を疑い、直ちに自ら動脈撮影の上血管縫合等の血管外科の措置を採るか、又は、右のような設備・技術を有する血管外科の専門医のところに転院させるべき注意義務を負っていたものということができる。

しかるに、前記認定の診療経過によれば、篠田医師は、同月一〇日以前において原告の左足の血流の有無・強弱に注意を払うことを怠り、また、同月一一日に減脹切開を行った際にも、血管損傷の可能性を考慮することなく、循環障害の原因をもっぱら血栓によるものと軽信して、動脈撮影及び適切な血管外科の措置をとる機会を逸したものと推認され、その結果、前記のように血管損傷の進行によって血流が阻害され、原告の左足が壊死するに至ったのであるから、篠田医師の右行為には過失があるものといわざるを得ない。

2 そして、和田鑑定によれば、右足先の血流がなくなった時点でそれに気づいて適切な血管外科の措置を施せばほぼ確実に左足先壊死の結果を回避することができることが認められ、右事実に、前記四3判示のとおり、原告の左足の前脛骨動脈及び後脛骨動脈の損傷は当初は部分的なものであったと考えられること及び前記二認定のとおり、同月一〇日に腫脹が増強してから完全に壊死状態になるまで一〇日以上が経過していることを合わせて考慮すれば、篠田医師が同月一〇日の時点で血管損傷の可能性に留意し、自ら動脈撮影の上適切な血管外科の措置を採るか或いは適当な設備・技術を有する専門医の下に原告を転院させて右措置を講じさせていたとすれば、原告の左足先壊死の結果を回避することは可能であったものと推認されるから、篠田医師の前記過失と原告の左足先壊死との間には因果関係が存在するものといわなければならない。

六過失相殺の類推について

被告らは、原告が無免許でオートバイを運転して自傷事故である本件事故を起こしたことが本件のそもそもの原因なのであるから、過失相殺の法理を類推適用すべきである旨主張するので、以下この点について検討する。

原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、無免許でオートバイを運転中にマンホールの上で転倒する本件事故を起こして左足を骨折し、本件医院に搬送されたものであることが認められる。右事実からすれば、原告自らの違法で危険な行為が左足受傷の発端となっているというのみならず、前記四3認定のとおり、本件における左足壊死の直接的かつ主要な原因とみられる前脛骨動脈及び後脛骨動脈の損傷は、本件事故の際に生じたものと推認されるのであって、そうだとすれば、右両動脈の損傷は原告の右の行為の結果とも言い得るのであるから、篠田医師が血管損傷の存在を看過し、その後の全面的な損傷への進行をゆるした前記の過程により、原告の左足壊死及び切断の結果に対する不法行為に基づく損害賠償責任を負うものであるとしても、右のような事情に照らせば、左足壊死による損害の全てを篠田医師のみに負担さることが当事者間の公平に適うとは到底考えることができず、損害の公平な分担という不法行為法の理念に照らし、過失相殺の法理を類推して、相当の減額をすべきである。そして、減額の割合は、原告による右行為の内容、篠田医師の過失の内容その他諸般の事情を考慮すれば、全損害の三割とするのが適当である。

七損害

1  逸失利益

原告本人尋問の結果及び<書証番号略>によれば、原告は、高校卒業後、ファーストフード店、運送屋等でアルバイトをしたが、約一年前から現在までは職に就いておらず、バンドを組んで演奏活動をしており、収入は多くて一か月金一万五〇〇〇円程度であることの各事実が認められる。

他方、前記三認定のとおり、原告は、膝下一五センチメートルのところで左足を切断しており、これを労働基準法施行規則別表身体障害等級表及び労働能力喪失率表(昭和三二年七月二日基発第五五一号労働基準監督局長通牒)に当てはめると、後遺障害等級第五級に該当し、労働能力喪失率は七九パーセントとなる。しかしながら、右労働能力喪失率表は、現に労働に従事している肉体労働者を主たる対象として作成されたものであるから、原告のような若年の未就労者の場合にそのまま適用することは妥当でなく、障害部位・年齢等の関係から右喪失率表を一つの参考資料として労働能力喪失率を算定すべきものであるところ、前記障害部位、原告が左足切断後まもなく義足を装着していること及び本件事故当時満一六歳という原告の年齢に照らせば、今後、本件のような後遺障害が収入に与える影響が肉体労働に比して少ないと考えられる事務系統の職種等に就いて生計をたてることも決して困難ではないものと考えられ、右事情に、前記労働能力喪失率表の数値及び現在原告が無職でほとんど無収入であることを勘案すると、原告の労働能力の喪失率は、全稼働期間を通じて、前記後遺障害のない場合の七〇パーセントと認めるのが相当である。

そして、原告は、本件当時満一六歳の健康な男子であり、昭和五五年の賃金センサスによる男子労働者全年齢平均年収額は金三四〇万八八〇〇円であって、原告は本件がなければ一八歳から六七歳まで四九年間就労が可能であり、その間右程度の収入を得ることができたと考えられるから、右の額を基礎として前記労働能力喪失割合を乗じ、同額から年別のライプニッツ方式により中間利息を控除して右逸失利益の本件事故当時における現在価額を算出すると、金三九三五万二七二三円となる。

(算式)340万8800×0.7×(18.3389−1.8594)=3932万2723円

2  後遺症慰謝料

原告が左足先の切断を余儀なくされたことによって多大の精神的苦痛を被ったことは明らかであり、左足先切断に至る経緯等本件における諸般の事情を考慮すれば、その慰謝料としては金九〇〇万円が相当である。

3  過失相殺の類推による減額

前記六判示のとおり、過失相殺の法理を類推して、全損害の三割を減額すると、減額後の損害賠償額は、金三三八二万五九〇六円となる。

4  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件不法行為による損害として賠償を求め得る弁護士費用は金三三〇万円とするのが相当である。

八請求原因七(被告らによる相続)の事実は、当事者間に争いがなく、被告篠田裕子の相続分は二分の一、その他の被告の相続分は、それぞれ八分の一である。

九結語

以上の事実によれば、原告の本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償として、被告篠田裕子に対し、金一八五六万二九五三円及びこれに対する本件不法行為の成立した日(原告が左足を切断した日)である昭和五五年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、その余の被告ら各自に対し、いずれも、金四六四万〇七三八円及びこれに対する昭和五五年三月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文及び九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官天野登喜治 裁判官増森珠美 裁判長裁判官雛形要松は転官につき署名捺印することができない。裁判官天野登喜治)

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